10.26.2012

バークレーのコミュニティについて





*風砂子さんにとってバークレーとは…

風砂子:

わたしが最初にバークレーに来たときに、それまでカナダとニューメキシコでコミューンに住んでたんですよね。
3、4年ぐらいかな。
バークレーに越して来たときに、コミューンもそれだけ住んだら“まぁもう体験したからいいか”っていうことと、
それでやっぱり一度この西海岸に来て、一度日本へ帰りたいっていうのもあったから。
子供達にも、新しいパートナーのミノにもね、日本を体験して欲しいっていうのもあったから。
そして自分も、自分がこれだけ変身して日本へ持って行ったらどう感じるかっていうのもあったしね。
一度日本へ帰りたいっていうのがあったから、ここに来たわけよね。

それで、そのときにわたしはやっぱり”これから自分がどこに住むにしても、
どんな都会に住むにしても、”自分の周りにコミューンを作る”
それが一番大事だな”って思ったわけ。 
自分のコミューン生活の体験からね。

それまで他のコミューンに住んでいたときは、
その前からも5年近く日本語なんてしゃべらなかったの。
日本人あまりいなかったから…
そういう環境に住んでいる日本人なんて稀だったからね。

だからバークレーに来て、最初にあったのがゴージとメイで。
で、メイの日本語聞いたときにほんとに”あぁおいしいお汁粉のようだ、甘~い声だなぁ”と感動して。
それからいろんな日本人のグループとも。
もちろん日本人だけじゃないけど、日本人の人と、やぱっり日本語でおしゃべりするのと英語でおしゃべりするのとまた違うからね。
これはもう事実で。差別とかそういうのじゃなくて。
違うからやっぱり日本語でしゃべれるコミュニティがあるっていうのも、素晴らしくよかったんですよね。

もちろん英語をしゃべる人たちのソサイアティも
60年代のムーブメントを先導したコミュニティだから、
だからすごいいろんな自由だしエキサイティングなものもあるしね。
それに加えて日本語で話せるグループがいるっていうのは
すごく安堵感がありましたよね。

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