風砂子:
妊娠して、で子供が生まれて、まだ一年も経たないうちにイサムのお母さんから電話がかかってきて。
で、お母さんがインドのタノール大学にね、客員教授でね、日本画の、行く事になったのよ。
それでイサムに一緒に行ってくれって。助手でね、一人じゃ不安だから…って。
ノラが一歳になった直後くらいに。
パスポートだって自由におりなかったし。行く先に保証人がいないと、パスポートおりなかったんだよね。
ドルがさ、一ドル360円、っていう時代だったから、外国に行くなんてそんなに誰もが出来る事じゃなかったの。
わたしもそんなにノラと二人だけでどうなるかなんて考えなかったからね。
でイサムが行っちゃったのね。
お母さんは一年。わたしはイサムの兄弟達と住んでいて。
わたしの母もすごい心配して、大丈夫って言ったけれど、うちに来て住みなさいとは言わなかったわけよ。
とにかく、わたしも行ったわけ。
その人たちがもしわたしが日本の電気製品を買って運んでくれたら、わたしたちの船代を出すって言ったんだって。
そういう人に出会ったわけよ。
63年ぐらいだったから、日本の電気製品が出始めたわけよ、世界中に。
カメラとかコピーマシーンまで出来ててさ、それからソーイングマシーン。
そういうのを買い集めてね、船に積んで、船で行ったわけ。
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