10.23.2012

ヒッピーとの出会い




*ヒッピーに初めて出会う



風砂子:

その年の暮れに「クリスマスをカトマンズで」というスローガンが… 
その頃みんなヒッチハイクしてて、ヨーロッパのヒッピー達が、それとアメリカの徴兵拒否者たち。
そういう人がカトマンズにばーっと押し寄せて来たの。

わたしも始めてその中の一人を見たとき、道で会ったときにね、ほんとに目がくらむような感じでさ、うわーっと思ってね。
それで、その人たちが集まってるカフェがあって、そこに一度イサムが行っていろんな人に会ってね。
”すっごい面白い奴らに会った”とか言ってね。
そしたらわたしのアパートがまるでヒッピー集会所になっちゃったの。

わたしは妊娠中だったから、あんまりこれは(タバコを吸う仕草)(笑)

その頃はね、カトマンズの公立の薬品店でね、ハッシッシ売ってたの。
ハッシッシってほらマリファナを焙じたようなものなのよね。
そんなのもう、何千年って使ってたわけよ、いろんなところで。ネパールだけじゃなく
ていろんな国でね、昔から。
それをまだ公立の所で売っている時代だったの。
それもあってヒッピー達が来たのかなと。
ネパールがほんとに国を開いてからそんなに経っていなかったのよね、その頃。
あれはすごかったね。

わたしずっと眼鏡かけてたでしょう? 生け花師匠のときも(笑)
でもヒッピー文化に影響されてから、
”なんでこんなにいつも眼鏡かけてなきゃいけないの? 世界が少しぼやけて見えたっていいじゃない。わたしのイメージなんだからいいじゃない”なんて言ってね。
で、眼鏡をポーンと捨ててさ、川に。(笑)

わたしたちのアパートの下に住んでたチベットの人がいてね。
その頃、チベットから紅衛兵革命で、中国がすごくチベットに入って来てお寺とかを破壊してね。
チベットのタンカ、密教画、そういうのをね、カトマンズの街でみんな少しずつ売り出していたのよ。
ロソンさんっていうその人がね、これはチベットの哲学である宗教の美術なのに、
西洋人が来て”これはうちの壁の色に似合う”とか買っていくわけよ。それが耐えられないって言ってね。
で、イサムに、日本に持って行ってこれをまとめてどこかへ貯蔵できないか、って話てきたわけよ。
そんなんで、わたし達一度日本へ帰ろうってことになったのね。

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