風砂子:
それで彼が来てね。(ゴウシさんの友人の劇団四季の人)
それでクジラの歌っていうね、その頃捕鯨問題がすごい問題になり始めた頃で、
グリンピースなんかが捕鯨船を邪魔してたりして。そういう時だったの。
ミノも鯨関係の人をインタビューしてね、それがこっちの雑誌に載ったりしてね。
そういう時代だったのよ。
で、彼が「鯨の歌」っていう脚本書いて。
それでわたしの友だちとか、メイ、ゴウシ、ミノもドラミングとかさ。
もうそこで周りのわたしと一緒に音楽を習っている人とかさ、
スリアっていうラマに一緒に住んでて、カトマンズでも会ってて、そういう人もジョイントしてね。
彼はストリートパフォーマーだったの、昔は、ヒッピーの。
そういう人がみんな集まってさ、十何人集まっちゃってさぁ、それでやり出したのよ。
そしたらけっこうあっちこっちでさぁ、何回くらい公演したかねぇ、6、7回だったよねぇ。
ーサンフランシスコでも公演した?ー
サンフランシスコで… あのね、サクラメントでしたの。
ーサクラメント? サクラメントまで行ってやったの?ー
まで行ってやったの。
その時はジェリーブラウンが県知事で、カリフォルニア州の知事で。
州のなんかのイベントがあって。そこでやらないかって。
その時はね、ゲーリースナイダーが州のアートコミッションの一人だったのよ。
メイとゴウシはゲーリーと知り合いでしょ?
だからゲーリーが招いてくれて。
ーおもしろい!すごい時代じゃない? ジェリーブラウンは知事でー
Yeah! ゲーリースナイダーとか。
もう一人ラマによく来て、わたしにグルジの話しをしてくれた人もミュージシャンで、
やっぱり彼も州のそういう文化局の、ゲーリーと同じ文化局の局員だったの。
ーへぇ カリフォルニアってすごいことやってたのねー
すごい時代だったの、あの頃。何でもやりたいことが出来ちゃった時代だよね。
信じられない。
それでね、ゲーリーがもし続けたかったらね、州の文化局で資金を出してあげるって言ったのよ。
だけど、わたしはバークレーに来た一つの理由は、日本にちょっと子供達を連れて帰りたかったわけ。ミノも連れてね。
ミノにも日本を見せたいしね。
そういう希望があったから…バークレーに2年近くいたかな?で、もうどうしても行きたいと思ったから、それ断ってね。(笑)
ーたくさんの人はそういうオファーをちゃんと計算のうち入れるけどー
そうよ、飛びつくと思うよ。
ー風砂子さんは直感で、どんなオファーでも自分の直感の方に従って生きてる?ー
自分がやりたいことをやるしかないっていうさ。
やりたくないことは絶対やらないみたいなさ…いくらお金が出てもね。
そこがわたしの問題なのよ、でもこれは。
わたしの欠点なのよ。
ー欠点じゃないと思うー
違うかなぁ (笑)
ほんとぉ?
ーそれは絶対必要なこと。だから無駄の無いものがやってくるんじゃない?どこ行って何やっても無駄が無い…ー
そうかしらぁ。
ー必ず次ぎに続いて行ってるよねー
続いてきたねぇ、いままでね 不思議とね。
本当に不思議…