9.26.2012

核と原子力開発への想い



*反核へ向かうきっかけは…

風砂子:

お布団屋をやめた後、90年代にやっぱり「プルトニウムフリーフューチャー」とか、
そういうので…それまではそんなにわたしも核問題にも関心払っていなかったし。
でも日本のね、核廃棄物から 原爆の原料になる プルトニウムを取り出して、
フランスの再処理工場でね、それを日本に送るってことが1992年に起きて。

それを機会にアーティストの小田まゆみさんとか、棚橋一晃さんとか、
こっちのクレア・グリーンスフェルダーとか。
そういうひと達と「プルトニウムフリーフュチャー」というのを結成して、
そういう活動を90年代にはずっとやってたんだけど。

*核開発について

自然資源をね、どんどん規制していって、人間が。
それで結局たどり着いた最悪の科学技術の一つがわたしは核開発だと思うんですよね。

*原子爆弾と原発は同一のもの

原子爆弾と原発っていうのは、同一物だということにわたしは気がついたんですね。
「プルトニウムフリーフューチャー」の見方っていうのはそういうのであって、
原爆と原子力を完全に分けることはできない。っていうことは
原発を稼働していけば、原爆の原料がどんどん蓄積されていくわけだから。
だからエネルギーっていう名前だけで、開発していく原子力が決して核爆弾と関係ないっていう事には絶対同意できないんですよね。

*原発と政治は…

原発というエネルギーのために、これが無ければ人間は生きていけないとか、
そういう宣伝でね、そういうものをやっていく今のこの経済体制ってのがすごいはっきり見えてきて。

*自然への想い

原発の生命の起源?っていうのはもう人間より低いんですよ。40年とか50年。
いま人間は…もうわたしだってその2倍近く生きてるんだから(笑)

ー原発の2倍!ー

だからわかるんだけど、それはさぁ自然の過程なんですよね、
ありとあらゆる工業なりなんなり、年を経れば次第に薄れていく、というね。
そういうことをね、完全に人間が知るっていう事は出来ないと思うの、わたしは。
それを絶対にできるように幻覚をもってね、どんどんやっちゃうっていうのはやっぱり
自然に対する人間の傲慢さ、科学が絶対に自然を制覇できるみたいな、そういう傲慢さから来ると思うんですよね。

そういう傲慢さはどっから来たかっていうと、結局そういう自然資源をどんどん使って、経済力をどんどん高めて、そのチカラで世界中を支配しようということね、それはできる、みたいなね、そういう事にだんだんなってきてここまで来ちゃったと思います。

だから私たちは「プルトニウムフリーフューチャー」を始めてからチェルノブイリとかいろんなそういう歴史を見て、あぁこれは止めなきゃいけないって。
だって人間は何万年生きてきたんですか、そんなものなしで。
ね、
それで今になってそういうエネルギーが必要だっていうけど、そういうのもやっぱり、
産業の発展のために必要なんですよね。
今使っているエネルギーだって過半量は産業が使っているわけだから。
その辺りを知るとね、この核開発っていうのは人類史上最悪の科学じゃないかと思う。

今日本でほんとに心の底から首相とか原子力産業とかそういうの本気で聞いて信頼する人いるかしら、日本に。
まぁ石原慎太郎はそういうのがわからないやつは猿だ、って言ってたけれど、わたしはいま思うんです。猿になりたいと。
ほんとにそういうものを直感できるね、ものを養わなきゃいけない。

ーほんとそう思いますよ。自分一人一人がね。直感できる、でそれを表現できるー


そう、直感できる、で表現できる、それでそれを表現できるからにはみんなが聞かなきゃいけない。それでなきゃ表現もできないでしょ。
そういう時だと思います。

*直感や感性を見直すとき

直感とか感性っていうのは、科学的な脳と同じように、この母なる大地から与えられた命の感性なんだから、それをやっぱりね、今もうちょっとね、大事にしていかなきゃいけない、見直さなきゃいけないと思うんですよね。
そういう所にきちゃったような気がする。



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