9.26.2012

プルトニウムフリーフューチャー




*お布団屋さんのあとブティックを始めるが…

風砂子:

その頃はわたしもちょっと、お布団屋終わってから、母が亡くなったしね。
お金も時間もあったから、母が亡くなる時も日本に行ったりできてたから、だからそれは有り難かったしね。
でもやっぱりもうちょっと、なんかやろうかな、と思っていたら、
彼が売りに出してるって(ブティックを)言うから、ああそうって言ってさ、バリに行けるていうから…買い出しにね。
それをすごい安く譲ってもらってさぁ。やって。
それは三年ぐらい?やってたんだけど。
その途中に湾岸戦争が始まったの。

それまではやっぱりビジネスとかなんとかで、あんまりその政治問題?アメリカの政治問題も追求していなかったし、
いっくら何でもベトナム戦争が再び起こるようなことはあり得ないと思っていたから。
あまり関心も払わずに、ビジネスとかみんなと遊ぶこととか、そういうことにチカラを入れていたから。
自分の無知っていうかさ、怠慢っていうかさ、そういうのにバァーンと平手打ちを食らったっていうかんじでね。

そのビジネスなんてたいしたお金にもなっていなかったから、もうやっぱりこれをやめて
わたしはもっと社会的なことに加わりたいって言って。
ミノに言ったら、ミノもうんって賛同してくれたのよ。
わたし達の最低の生活はもう、出来るようになっていたからね。それでやり出したわけ。

1992年に日本がプルトニウムをフランスから日本に輸送する、それを機会にまゆみさんとかクレアとか棚橋さんとかが
「プルトニウムフリーフューチャー」を作ろうっていうんで、それにわたしも誘われたから参加してね。

ープルトニウムフリーフューチャーはずいぶん活躍したねー

うん、かなりしたね。十年近くね。
でもなんかみんなやっぱりもう、年とってきたりいろいろで… みんなそれぞれ違うことをしているしね。

ーでも「INOCHI」っていうー

「INOCHI」っていうあれはある。(非営利団体)
それをもし使ってなんかしたかったら、基金集めとかね、それは出来るわけ。その可能性はあるわけ。
非営利団体を作るのはすっごい面倒だから、それはとっておきましょうってことで。

ー「INOCHI」のおかげで後々ね、「地球の集まり」にしてもなんにしても、「INOCHI」を使わせてもらってしたことはあったよねー

そうそう。

ーここにいる日本人の中で「INOCHI」があるってことは、結構いいことよねー


INOCHI

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