10.25.2012

インドの生活




*借金から始まったインド生活

風砂子:

わたしもイサムがどうやってお金を稼いでるのかとか、そんなのも何も知らずにね。
平気でまた行っちゃうってものね。 (笑)

ボンベイで日印協会(日本インド文化協会)みたいなのをやってる人がいて。
そこでイサムは日本語を教えたり、折り紙を教えたりしてね。
そうやってわずかなお金を稼いでいたらしいの。

そしたらイサムがね、日印協会のボヘカワさんっていう会長さんが、わたしが日本から来るっていったら、じゃあ、その協会でぜひ、生け花教室を始めてほしいって言ってるって言うのよ。日本人の女性が来るっていうんでね。

だから生け花を教えないか、って言うのよ、イサムが。(笑)

わたし生け花なんか習った事も無いのにさぁ。(笑)
でもねぇ、稼がなきゃしょうがないからさぁ。

だからまず、観光旅行だの一際する前に図書館に行って。
英語のね、生け花とか、草月流とか池坊とかね、結構そういう本があったのよ。
そういうのを読んでね、ちょっとだけ勉強したの。(笑)

で教えたら、結構生徒が増えて、他でも開いてくれとか生け花展やってくれとかね、美術大学でね。
わたしはもう”やめてぇー”とか言って叫んだらね、イサムが”じゃあ前衛スタイルで”って。(笑)
自分が石膏でオブジェを作るから、それに花を活けたらいいって言うから、わたしも”ほぉー”っと感心しちゃって。(笑)
それでやったわけよ。

その頃ボンベイにいる日本人っていったらね、領事館と三井三菱の大企業の数人の人たちがいるくらい。
あと日本山妙法寺のお坊さんが住んでいる、それぐらいだったのね。
その展覧会にはね。三井三菱の奥様方がみんなきて。(笑)
「わたし草月流は全然だめなんですよ」って。
彫刻に花をちょっとだけ置いたりしたからね、草月流だと思ったのよ。

ーちょっと冷や汗ねー

(笑)
もー冷や汗どころかびっしょりよ。

でも一度そういうのに慣れちゃうとね、平気になっちゃうの、何やってもね。
(笑)

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